京論壇2018公式ブログ

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【コラム】社会と想像力

本日からは、分科会のメンバーに自由にエッセイを書いてもらいます!

トップバッターは競争と正義分科会のメンバー、中島礼朗くん(文科2類2年)です!

 

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最近自分のなかで大事にしているものの話をしようかなと思います。想像力、です。

想像力を失ったらおしまいだと思うんです。

 

たとえば何かを人に伝えるとき。僕が発した日本語は僕の中ではそのコンテンツの伝達に最適化されているつもりでも、上手く伝わらないことがある。ここで必要なのは、相手がどうその言葉を受け取るかを想像して、相手の基準の上で最適化することです。これは僕がサークルでやっている英語ディベートを通して学んだことなのですがとても大事。

 

これって最近話題にのぼることの多いセクハラ・パワハラ問題にも言えると思います。相手がそれをハラスメントだと感じたのならばそれはセクハラであったり、パワハラであったりするわけです。結局傷つく人がいたらそれは悲しい出来事だし防ぎたい、そういうものだと思います。やっぱり想像力が大事ですよね、相手がこの言葉・行為をどう感じるかを想像していないといけないわけです。

そうした悲しい出来事を減らすためにたくさんの運動が興っています。女性蔑視的な発言を強く避難するもの。アルハラを撲滅する運動。パワハラ撲滅運動。SNSやメディアで見ない日はありません。誰かが誰かにハラスメントをされたと叫び、不特定多数の正義の見方が寄ってたかって悪を糾弾する。

このような光景は、弱者が弱者であるがゆえにその苦しみを叫ぶことができず、悪が覆い隠されていたかつての光景よりはある面では美しいものなのでしょう。誰もが発信者になれる時代だからこそみんなが助けを求めることができ、みなが正義の味方になれる。美しい。

 

しかし、ここで絶対に忘れてはならないのは、人はみな違う、ということだと思います。人それぞれに感性は違い、正義も異なる。究極に言えば絶対的な悪も善もないといえるかもしれない。世界中みな違う場所で生まれ、違う環境、違う規範のもとで育ってきたのだから当然でしょう。当事者たちの声など無視されて正義の味方が現れる、なんてことは起こってはならないはずなのです。

でもたくさんそんなことが起きている。それが正義の味方たちにとっては正義だし、権利だったりするから。社会って難しいと思うわけです。こんなんどうしようもねえよ、みたいな。

 

さてどうしましょう。

 

少なくとも周りの人に笑顔でいてほしい。と僕は考えました。

 

だから僕は想像力を大事にすると決心したわけです。まだまだ未熟すぎる想像力だけども、たくさん考えて、想像して生きようともがいています。

 

京論壇に入った理由の一つにはそういう考えがありました。北京大学の方と徹底的に議論しあう。価値観をぶつけ合い、互いの思考を深く知る。楽しそう、成長しそう。そういうわけで今年の夏は京論壇にお世話になります。

 

ここまでだと全然僕が所属している”競争と正義”分科会と関係ないブログ記事になってしまいます。

少しだけ分科会のテーマの話をしようと思います。

 

今回分科会で扱う”競争”は、先程の話と同様の「まじかよ社会、こんな社会嫌になっちまうわ」路線の競争が主になります。学歴競争、資本主義のなかでの会社同士の競争などなど。望んでもないのに放り込まれて、敗者が生まれて、悲しむ人が生まれる。でもその一方で、正当に勝利を得て、自らの権利を享受する人もいる。しかたないのでしょう、社会は弱者だけのためのものではなく、でももちろん強者だけのものでもない。みんなのためのものであるから。ここで議論になるのが、どこまで競争は許容されるのか。何が正当な競争であり、何が皆の共有する”ボーダーライン”なのか。この”ボーダーライン”を定めるのが今回は正義に関する議論でしょう。

 

想像力が要りそうですね。なにしろ絶対的な正義なんてないかもしれなくて、ボーダーラインなんて引けっこないかもしれないですし。

思いっきり考えぬいて、思いっきり想像力を働かせたいと思います。

 

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

 

東京大学 前期教養学部文科2類 中島 礼朗